草取り

梅雨の晴れ間のキラキラと眩しい朝日が輝くある日、涼しいうちに草取りを済ませようと庭に出た。

雨上がりの清涼な空気が心地良かった。しかし、それは最初の15分ほどだけだった。気温がグングン上昇し30度に達すると、汗びっしょりになった。

ついこの間、草取りをしたばかりなのに、もうこんなに茂っている。雑草は「雑草のような命」とうたわれるように、抜いても抜いてもまたすぐに生えて来る。どんなに完璧に引き抜いたつもりでも、土中に残された僅かな根からしぶとく命を繋いでいる。雑草が生き残るために命を懸けているのに対し、草取りをする人間は単に庭を見栄え良く綺麗にしたいという、云わば短絡的な思い。だから最初から勝負は見えている。いつも思うことだが、草取りを完璧にやろうなんて思っちゃいない。「また生えておいでね、そうしたら何度でも抜いてあげるから」そんな思いで草取りをやっている。

草取りをしていると、時には雑草の匂いや草いきれに、なつかしさを感じることがある。

それは遥かな昔、自分がまだ幼い頃、小川の岸辺やあぜ道を歩いていた時に、いつも漂っていたあの匂い。もう60年以上も経ってしまったが、あの小川やあぜ道は、今はどうなっているのだろうか?

流れる汗を拭いながら、ハードな草取りという仕事にも一服の安らぎを感じていた。