ウォーキングを始めましたが・・・

2月の青梅マラソンを完走した時のダメージが思いのほか大きかったので、暖かくなるまでの辛抱と当面ジョギングを中止してウォーキングを始めてはみたけれど、さすがに太もものあたりに違和感を覚えて足を引きずって歩いていると「ウォーキングも満足に出来ない状態なら、もうジョギングは年貢の納め時だぞ!」なんて天の声が聞こえた気がして、慌てて気を取り直して無理を承知で歩き続けた。

 

走り始めて40年余り、自分にとってジョギングとは膨大な時間を共に費やしてきた、かけがえのない相棒のような存在だ。辛い時も苦しい時も有頂天な時も、いつも走るという単純な行為によってストレスが解消され、勇気づけられ、時には楽しみや喜びを倍加してくれた。今ここでジョギングに終止符を打てば、それは自分にとって間違いなく、人生の重大なターニングポイントに到達したということであり、悲しく寂しい出来事だ。きっといつかは、その時がやってくると、ずっと以前から覚悟していた。でも今、そんな決断を下せば、急激に老け込んでしまうような気がして、だからそれは可能な限り先延ばししたいと心底思う。古希を迎えて早や数年、同年輩に比べれば気力・体力は人並み以上という自負が、まだまだ根強く自分の中に残っている。

 

しかしそんな思いとは無関係に、歩くにつれウォーキングにはウォーキングの良さがあることに気づかされた。

通いなれたジョギングコースを歩いていると、雨上がりの真っ青な空や爽やかな風は同じでも、見える景色が違っていた。道端に咲く可憐な花々にふと目を奪われ、いつもは鳴き声だけを聴いていたが、木立の上を飛び回るツガイのヒヨドリを見つけたり、またある時は何処かで飼われていたペットが逃げ出してきたのか、のびのびと花びらをついばむインコの姿に驚かされたり、今こそ我が世の春とばかりに咲き誇る桜にもソメイヨシノやヤマザクラや枝垂れや八重など、たくさんの種類があることを今更ながら再確認したり・・・。

 

昼下がりの遊歩道を行き交う人々の表情の穏やかさ、老夫婦の仲睦まじさまでもが伝わってきて、ゆったりと流れる時間と心癒される自分を感じながら、そして・・・まだ違和感の抜け切らない太ももを擦りながら「きっともうすぐジョギングを再開できる日がやってくるさ!」そんな確信めいた思いを抱きながら、ウォーキングの楽しさを満喫したある春の日のひとときでした。